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 死を想い、そして生きる・・・
 ひと頃よりは落ち着いてきたとは言え、いまだBSやスカパーでは韓国ドラマ/映画がいつの時間帯でもどこかの局で放送されているような、"韓流"の勢いはブームから安定へという様相ですが・・・
まだ韓国の映画が公開されても一部の好事家のファンのものといった頃、と言ってもたった10年ちょっと前の1998年に公開されたのがこの映画。
前にこのコラムでも紹介した「春の日は過ぎゆく」のホ・ジノ監督の出世作。
「シュリ」が公開され、公開第一週の興行成績で1位を記録するのがこの翌年。「八月のクリスマス」は日本でもじんわりとヒットし、まさに"韓流"ブームの萌芽の作品であった。

 最良の友を送る弔辞は・・・
「私を愛したギャングスター」に続いてアイルランドが舞台の作品。
但しこちらはダブリンではなく、人口52人のアイルランド南部の孤島・タリーモア村。
緑豊かな穏やかな村だ。
ここに騒動が持ち上がる。
この村の誰かが買った「宝くじ」が大当たり(ジャックポット)。このことを新聞で知ったジャッキーは、友人のマイケルと妻のアニーを巻き込んでそれが誰かを探り当てて、あわよくば「おこぼれ」に預かろうと奮戦する。
しかし、見事大当たりのくじを引き当てていたネッドは、そのショックで心臓麻痺で亡くなってしまっていた。
くじの当たり分(なんと700万£!)は償還されてしまうのか-
一計を案じたジャッキーは村の住人全員を説得して友人のマイケルを亡くなったネッドに仕立て、村ぐるみで"あたり"をネコババしようとする。
しかし、そこには個性的な村の住民それぞれが入り乱れて・・・
強欲な独居のおばあさんや、養豚で生活している男、彼は村で子供と生活する母子家庭の母親に惚れている。彼女の方は彼のことは好きだが、豚臭いのが堪らなく中々首をタテに振らない。などなど。
こうしたキャラクターを絡めて、またアイルランド伝統音楽の楽器フィドルの彩りと共にユーモアと皮肉を含めて物語は進んでいく、可笑しく少し可愛い話。

 皮肉なお葬式?
「私が愛したギャングスター」-日本語の題名では大仰なタイトルが付いていますが、原題は"Ordinary Decent Criminal"
「日常的で、親切な(優しい)、犯罪」?ぐらいの意。
舞台はダブリン。強盗団のボス:マイケル・リンチは信頼できる仲間たちと犯罪を繰り返すが、どちら言うと義賊の扱いで街の一般市民からは共感を得ている。
彼はその昔住んでいたマンションの取り壊しに反対し篭城、抵抗。最後にダブリン市長までをも引っ張り出して2軒の家屋まで得てしまう。
この話は今や子供を寝かしつける為の子守唄だ。
彼の犯罪行為の底流に流れるのは、そうした公的権力への挑発と抵抗で、お金には興味が無い、いや正確には家族と仲間が食べれるものの分だけあればいい。
奥さんと子供はもとより、奥さんの妹とも夫婦同様の生活をして養い、2軒の家を行ったり来たりしている、
しかし体制には徹底的に挑発しからかうし、仲間の裏切りにも断固たる態度を取る。

 仲間を弔う・・・
1995年の作品。
「パブリックアクセス」で1993年にサンダンス国際映画祭グランプリを受賞したブライアン・シンガー監督の第二作。実質のメジャーデビュー作で世界中でロングラン公開となった作品。
脚本も同じコンビのクリストファー・マクファリー。
難解かつ緻密な構成のこの作品をこの二人のコンビで上手くまとめて上げている。

 カリフォルニアの港でコカイン密売に絡む船の爆破事件が起こる。
60体以上の遺体が発見される中、唯一の生き残りで身障者のヴァーヴァル・キントが保護される。
尋問するのはニューヨークから駆けつけたクイヤン捜査官。
「俺はおまえよりも賢い、聞きたいことは全て吐かせる」と。
物語は、保護されたキントへの尋問とその証言に基づく回想劇。
話は事件の6週間前に遡り、ニューヨークへ。5人の悪党がNY警察の首実検に並ばされる。単なる首実検に5人の悪党をわざわざ並べたりしない、しかもこの5人は一癖も二癖もある札付きの悪党"常連の容疑者"だ。
キントも含むこの5人は、証拠不十分で釈放されるが、5人が集まったことにより新たな犯罪に手を染めていくことになる。