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 また夫婦の話。
京都の町家を舞台にした、地味で、しっとりした話。
 二人で暮らしてきて、老齢に差し掛かる夫婦。
どちらかが先に逝けば、どちらかが遺される。
これ、結構答えのない重い問題だが、じっくりと受け止めて生きている。
そんな中、妻がALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症する。
全身の筋肉が徐々に弛緩していき、最後は内臓の機能や呼吸までもが影響を受けて死に至らしめる難病。
絶望的な状況ながら、夫は無骨ながらも懸命に妻を看病して、残された時間を穏やかに過ごそうとする。

 時にタイトルがすべて。
現在、劇場公開中。
前回に引き続き夫婦の話。

「いつも愛妻家」でも、もっと意思強く「いつでも愛妻家」でもない。
人によってはそういう方もだが、「今度も愛妻家」、ではない。

"死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。"
これは確か村上春樹の昔読んだ短編の中にあった言葉。

"死が二人を分かつまで"
結婚式などの宣誓の時にも聞きますが、僕には鮎川哲也の短編ミステリを思い出させます。

「今度は、愛妻家」
タイトルは雄弁です。

 2010年はどういう書き始めでいこうか-
ずうっと考えていました。
映画の中のお葬式のシーンを見続けると、様々に思うところが出てくる。
それは、"人の死を遺された人がどう受け止めるか"ということと、"亡くなった人(役)の意思の表現"これに集約されると思う。
映画は筋書きがあるので、それをストーリーに織り込んで表現されていく。
日常生活の中でそれに向き合う時は、それぞれの人の心の中に去来するものがストーリーとなる。
 お葬式のシーン一つ一つもそうだが、"死を迎え、それをどう送るか"
「人生最後のライフデザイン」を見つめていこうと思う。

 2008年春からスタートしたこのコラムも、約2年間、44本の映画を紹介してきました。
新たな年、2010年に入り、今年も頑張って「映画の中に見るお葬式」、これを紹介してきたいと思います。

 しかし、この"作業"は、中々インプットに時間を要します。
何かの回の時にも言いましたが、「あ!あの映画にお葬式のシーンがあったな。」と思い、その映画を見返すところから始まります。
その閃きと時間が無いと進みません。
これがなかなか・・・
まあ、言い訳せずにやらねばならないのですが、忙しさにかまけると「枯れた井戸」になってしまいます。とはいえマイペースにと。
さてさて、年初はそんな徒然に、本格更新は今月の半ばから。
映画の中のお葬式は、ストーリーや主人公のキャラクターを一度落ち着いて考えるクッションのようなシーンが多いのですが、謂わば映画の中での分岐点(ジャンクション)のような役割。
今年はその視点だけでなく、邦画、洋画、韓国や中国ほかの映画との違いなども
その本質と作用をもう少し見極めて観ていきたいなどと、ツラツラと考えております。

 それでは、新しい年のご挨拶にかえて。