時にタイトルがすべて。
現在、劇場公開中。
前回に引き続き夫婦の話。
「いつも愛妻家」でも、もっと意思強く「いつでも愛妻家」でもない。
人によってはそういう方もだが、「今度も愛妻家」、ではない。
"死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。"
これは確か村上春樹の昔読んだ短編の中にあった言葉。
"死が二人を分かつまで"
結婚式などの宣誓の時にも聞きますが、僕には鮎川哲也の短編ミステリを思い出させます。
「今度は、愛妻家」
タイトルは雄弁です。
2008年春からスタートしたこのコラムも、約2年間、44本の映画を紹介してきました。
新たな年、2010年に入り、今年も頑張って「映画の中に見るお葬式」、これを紹介してきたいと思います。
しかし、この"作業"は、中々インプットに時間を要します。
何かの回の時にも言いましたが、「あ!あの映画にお葬式のシーンがあったな。」と思い、その映画を見返すところから始まります。
その閃きと時間が無いと進みません。
これがなかなか・・・
まあ、言い訳せずにやらねばならないのですが、忙しさにかまけると「枯れた井戸」になってしまいます。とはいえマイペースにと。
さてさて、年初はそんな徒然に、本格更新は今月の半ばから。
映画の中のお葬式は、ストーリーや主人公のキャラクターを一度落ち着いて考えるクッションのようなシーンが多いのですが、謂わば映画の中での分岐点(ジャンクション)のような役割。
今年はその視点だけでなく、邦画、洋画、韓国や中国ほかの映画との違いなども
その本質と作用をもう少し見極めて観ていきたいなどと、ツラツラと考えております。
それでは、新しい年のご挨拶にかえて。